全学協定交換留学:ヤゲウォ大学(2025年2月~2026年2月)
私は、2025年2月26日から1年間、ポーランドのヤゲウォ大学に留学しています。大学時代からの夢だった長期留学は、コロナ禍の影響で実現できずにいましたが、大学院修了を目前にして「今からでも遅くない」と決意しました。EU諸国の中でも若者の生活満足度が高いとされるポーランドに興味を持ち、「子どもたちがもっとのびのびと暮らせる社会とは、どのようなものだろう」と考えながら、この国での学びを選びました。
ポーランドには、アウシュビッツやユダヤ人地区といった歴史的な場所が多くあります。歴史や政治に苦手意識を持っていた私にとって、こうした地を自分の足で訪れることは、これまで抽象的だった知識を自分のこととして捉える大きなきっかけとなりました。日本では社会問題について若者同士で話し合う機会が少ないと感じていましたが、ヨーロッパでは日常的に政治や国際情勢について議論されることがあり、社会や国際問題について考える時間も自然と増えています。
ここはクラクフ旧市街の中心にあるRynek Główny(中央市場広場)で、織物会館や聖マリア教会などが立ち並ぶ観光名所です。
大学の授業では、教育学、知的障がいを持っている子どもへの支援、ポーランドの食文化などを幅広く学んでいます。特に印象的だったのは、特別支援学校を訪問した経験です。子どもたちが使っている支援グッズに触れたり、職業訓練の授業を見学したりする機会がありました。視覚や聴覚、運動機能など、子どもたち一人ひとりの特性に合わせた教材や道具が丁寧に用意されており、日本との違いに気づかされる場面も多くありました。
そのような中、授業で訪れた特別支援学校とご縁があり、5月から学級支援のボランティアを始めました。大学生の頃はコロナ禍の影響で特別支援学校での教育実習が実施されず、特別支援学校で子どもたちと直接関わる機会がありませんでした。しかし、小学校教員を目指す私にとって、特別な支援が必要な子どもたちと実際に関わる経験は大切だと考え、「いつか何らかの形で関われたら」と願っていたことが、思いがけずポーランドで叶いました。担当しているのは9~10歳のクラスで、授業はすべてポーランド語で行われます。言葉が通じない不安もありましたが、子どもたちは「こんにちは」と日本語で話しかけてくれたり、遊びに誘ってくれたり、言葉が通じない私にも助けてほしい時には私がわかるように伝えてくれます。また、先生方もとても温かく迎えてくださり、「ありがとう」と何度も声をかけてくださることに励まされています。言葉は通じなくても、笑顔とジェスチャーが通じ合えることを、子どもたちとの日々の中で実感しています。
特別支援学校の教室で、児童が英語の授業を受けている様子。
6月にはウクライナ支援の最前線で活動されている日本人の方のご協力のもと、ワルシャワにある小学校で開催されていた子どもの日のイベントボランティアに参加しました。その小学校には、1年生から8年生までの100人以上の子どもたちが通っています。ほとんどがウクライナから避難してきた子どもたちで、先生の中にも同じように避難経験のある方がいらっしゃいました。この日は、子どもの日のイベントとして日本の「ラジオ体操」や「じゃんけん列車」を紹介し、子どもたちと体を動かしながら楽しく交流しました。
戦争が始まって3年以上が経ち、避難生活も長くなったことで、子どもたちの中には少しずつウクライナ語を忘れつつある子もいる、という話を伺いました。お父さんは戦地へ行き、お母さんは生活のために働かなくてはならない。子どもたちは家では寂しい思いをしているかもしれません。戦争の影響で大変な思いをしてきたはずなのに、子どもたちからは悲しさや弱さではなく、むしろ明るさや強さが伝わってきました。その場にいた私の方が、子どもたちのまっすぐな笑顔とたくましさに励まされるような思いでした。ポーランドでの生活が「日常」になりつつある中で、子どもたちが「ウクライナ人である」というアイデンティティを忘れてしまわないように願っています。そして、いつか安心して故郷に帰れる日が来ることを心から願い、「また会おうね」と子どもたちに挨拶をして戻りました。
ポーランドに来てすぐは何をすればよいか分からず、何もせず一日引きこもる日もありました。その時、私はどうせポーランド語わからないからボランティアとか無理だろう、と思っていました。しかし、「たった1年しかなくて勿体無い」と感じ、「今、ここにいるからこそできることは何か」を考え続け、ハングリー精神を忘れず行動するようにしています。大学の授業に加えてできることは、積極的に挑戦するようになりました。ポーランドでの生活は決して簡単なことばかりではありませんが、自分の殻を破って新しい一歩を踏み出すたびに、心が動かされる瞬間があります。
この1年での経験は、将来小学校の先生になったときの私を、きっと支えてくれると信じています。残された留学期間も、挑戦と学びを大切に過ごしていきたいと思います。
Otwockの小学校で、子どもたちとじゃんけん列車をしている様子。
三好 杏乃 MIYOSHI Anno(人間発達環境学研究科 2年)
※国際人間科学部の留学プログラムの中には、国際文化学研究科や人間発達環境学研究科の学生が参加できるものもあります。